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◆恐怖と対峙する |
岩尾先生に借りたJZ・ナイト(ラムサのチャネル)のDVDを観た。ラムサのエネルギーに触れ、細胞の一つ一つが「うおぉ〜!!」と喜びの雄叫びを上げているように感じた。
私たちの「恐れ」は、どこにあるのか? ジャジャーン それは、脳の尾状核にある。私たちはそれを生まれ持っている。それは、先祖代々受け継がれて来た負の遺産なのだ。 なぜか? 尾状核にある恐れは、新しいアイデア(周波数)がやってきた時、それを拒む役割を果たす。大脳で受け取った新しいアイデアを小脳や身体に流さないようにブロックするのだ。 逆に言うと、新しいことをせずに過去の繰り返しの中で生きて行く流れを生んでいるのがこの尾状核なわけだ。それは私たちにとって必要だったから受け継がれたのか?必要だったというよりも、これまでの抑圧の歴史、支配の歴史において、社会が人々が自由に自立して生きることを拒み続けてきたがゆえ、遺伝子に刻印されてしまったものと言えるようだ。 さて、私たちが過去の繰り返しの中で生き続ける時、一体何が起きるのか?それは、老化だ。生きながらにして変化し続けることができなくなった時に人は死ぬ。変化できなくなった時点で、その人の人生はゲームオーバー。そこで、一旦死に、転生することで変化を生み出そうとするのだ。 尾状核にある恐れは、私たちの可能性を闇に葬り去る。そして、私たちの変化を拒むのだ。 そこでラムサは言う。「自分を壊せ!恐れを破壊しろ!」と。 では、どのように恐れを破壊し、過去の繰り返しをしている自分を変化させていくことが出来るのか? === 俊太郎の「お預かり」は、昨日から始まっていて、今日も登園。いつも明るく声をかけてくれる掃除のおばちゃんと今年初対面。新年の挨拶を交わす。 と、おばちゃん、「今日は学校?」と。。。 「いえいえ、実は…。」と、ことの顛末を話すと、そりゃスゴイ!という顔をして、褒めまくってくれた 「いやー、おたくは皆すごいね〜!これからはそういう生き方しないとだめよね!今やらなかったら後悔するものっ!頑張ってね♪」 なんだか、涙が出るようだった。おばちゃんの言葉に、より一層勇気付けられたというか、パワーをもらったというか。。。嬉しいです さて、恐怖を手放すための方法論の前に、そもそも恐怖を手放すとどうなるかについて、ちょっと書きたいと思います。 恐れがない状態を想像してみてください。それはどんな感じですか? うん、そうきっと、喜びの状態のはずですね。恐れが大きければ喜びが少なく、恐れが少なければ少ないほど喜びが多い。。。 では、その喜びとは何でしょう? ラムサは、「喜びは感情ではない」と言っています。それは、人間の本来の姿=普通の状態であって、感情がもたらしているものではないと。もう一度言います。喜びは感情ではない。 他の感情は、私たちが創造しているものなわけですが、喜びは創造しなくてもそこにある。逆に言えば、わざわざ作り出しているたくさんの感情を排除すれば喜びの状態に戻るというわけです。 ただ、喜びといっても、感情の一つである「喜び」もあります。喜びというよりも熱狂に近い状態といったほうが解り易いかも知れません。その感情は、五行論でも言われているように病を引き起こすものでもあります(「心」に影響を及ぼします)。ここで論じている喜びは、それではありません。感情ではない、人間がデフォルトとして備えている状態を指す「喜び」についてです。 そのデフォルトの喜びの状態に戻るには、感情を排除すればいい。排除というよりも、完了させるといった方がいいかもしれない。感情とは、過去の遺物です。昔あった何かの体験を繰り返し感じているだけなのです。一度大脳の中に構築されたニューロネットを繰り返し使っているだけなのです。脳の中には、使っていないニューロネットの方が多いのに、私たちはそれを使わずに、子供の頃に構築したものを繰り返し使い続けているのです。 だから、毎朝起きると「いつもの私」がいるわけなのです。でも、それを変えることも可能なのです。何しろ、私たちの脳の中には、全ての存在の過去から未来までにいたる全ての体験がダウンロードされているのだから…。 その「神のマインド」と呼ばれるものが脳にダウンロードされているにもかかわらず、私たちはそのうちのほんの少ししか使っていません。でも、皆さんお分かりでしょう?私たちは、そのマインドのうちの好きなものを使うことが出来るんです。自分自身の意志によって。その脳のどこが使われるのかは、自分の思考が発する周波数によるのです。 この世の全ての体験が目の前に並べられています。そして、「さぁ、お好きなものをどうぞ♪」と言われている。なのに、私たちは昨日と同じ体験をすることを選んでいるのです。そんな状態の人間をJZ・ナイトは「老いた子供」と表現していました。 そう、みんなまさに「老いた子供」なのですよ!子供の時に構築したのと同じ回路を永遠に使い続けている。 岩尾先生は量子場調整のことを「大人の技術」というふうに呼ぶことがあります。それは、量子場調整が、子供の頃から選択し続けてきたものを大人の自分が破壊して再構築する技術だから。 破壊というよりは、引越しのニュアンスの方が合うかもしれない。今まで使い続けてきたニューロネットを使うのをやめ、新しいニューロネットを構築してそこに引越しするのです。 子供の時には選ぶ余地がなかったかもしれない。でも、今のあなたは大人です。だから、その子供の時の体験を繰り返したくなければやめていいんです。そして、今の自分が望むものを構築すればいい。 子供の私は母を観て育ったので、母と同じようなお尻になるしかなかった。でも、大人になった今、そのお尻でいることをやめることが出来るのです。実際にやめましたしね というわけで、恐れについての話はまた後ほど。。。 === スミマセン、恐れをなくすためには?ってことで、昨日書くつもりでいたんですが、OSHOを読み始めたら、すっかりモードが切り替わっちゃって。。。
いやー、やっぱりOSHOもすばらしい!丑年にふさわしく(?)『究極の旅 禅の十牛図を語る』を読み始めたのですが、ラムサが外から引っ張る父のような陽の力であるのに対し、OSHOは内側から育ててくれる母のような陰の性質を持っているというのが体感として解ります。その両方が私を育んでくれている感じ さて、OSHOの話の前に、一昨日観た「恐れの生物学」の話に戻ります。 このDVDの中でJZ・ナイトがこんな話を紹介してくれました。ネズミの実験についてです。ネズミにも尾状核があり、当然のことながら生まれながらに恐れを持っています。そのネズミに迷路の学習をさせるのですが、あちこちに恐怖の対象が仕掛けてある。でも、その恐怖を乗り越えると餌がもらえるという仕掛けです。 その迷路の中で訓練されていったネズミがどうなったか?恐怖の対象を恐怖とも思わず、自由に迷路の中を行き来し、自分の欲しいものを手に入れるようになったというのです。 目の前にある、脳が恐怖と感じていること。それを体験することでその恐怖は恐怖ではなくなるのです。 うちの俊太郎。つい最近まで水に潜れませんでした。水が怖かったのです。だけど、彼はその恐怖に対峙していった。来る日も来る日も、お風呂で少しずつ少しずつ顔をつける練習をしていった。誰も強要しないのに、です。 そして、いつの間にかお風呂に潜って目を開け、私に悪戯したりするようにまでなったのです。そう、彼にとって水に顔をつけることは最早恐怖ではなくなっていたのです。 日々、恐怖と対峙することで、「水が怖い」というニューロネットから「水に潜れる」というニューロネットに引越しが完了したのです。 なぜ、その引越しが可能だったのか?それは、彼が「水に潜れる自分」を求めたからにほかなりません。今は水が怖い、でも、水に潜れるようになるはずだというイメージが彼の現実を創っていったのです。そうして、彼は以前よりも喜びの多い人生を創造したことになるわけです。 私たちのもつ恐れも同じようにして克服することができます。 たとえば、「こんなことを言ったら嫌われるんじゃないかしら?」なんていう恐れを持っている場合。その恐れを克服するには、その恐れと対峙しなければなりません。実際に「こんなこと」を言ってみるのです。もしかすると嫌われるかもしれない。でも、嫌われないかもしれない。それは試してみるしかないのです。 1度は嫌われるかもしれない。でも、それでももう一度試してみる。だって、その人は「こんなこと」を言いたいわけでしょ?だったらやってみるしかない。そのうちに「こんなこと」を言うことを恐れなくなるでしょう。 なぜか? それは、自分が外に向けて発している周波数にあった現実がもたらされるようになるからです。自分を偽って生きていた頃はその周波数に見合った環境が自分の周りに展開されます。でも、恐れと対峙しながらも本当の自分を発信し始める。すると、自然と自分の周りの環境が変化してくるのです。自分の言いたいことを言っても大丈夫な環境がやってくるのです。 そして、「こんなこと」が言えなかった自分から、言いたいことが言える自分へと引越しが完了するのです。 でも、その引越しをするには、引っ越したい!という意図が必要なことをお忘れなく! 恐れとの対峙を回避しようとうまく立ち回ることも可能でしょう。あれこれやりくりし、本当の自分の姿をごまかし続ける。恐れを観ないようにして生きるのです。でも、恐れが無いわけではない。ただ隠しているだけなのです。 本当の自分を隠したままでいるというのは自己愛に欠けることでもあります。隠された恐れと自己愛の欠如が何を生むのか?それらは、苦しみ、病、死を生みます。 実は、私はホメオパシーの父、ハーネマンが見つけた「千の頭を持つ怪物」である慢性マヤズムとは、この恐れと自己愛の欠如のことを指しているのだと感じるのです。在学中に受講した講義中にそんなアイデアが「キラリーン」とやってきたのでした。 ハーネマン自身が気付いていたかどうかは解りません。しかしながら、この恐れ・自己愛の欠如を無くしていくことで、人は本来の幸せで健康な状態に還っていけるのは間違いの無いことだと確信しています。 戻る |
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