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◆在ること |
ただ「在ること」への理解がやっと深まってきた。「成る」んじゃない。ただ「在る」だけでいい。それは、自分の意志と内なる神の意志が統合された状態だ。
ふと、OSHOが言ってた7つの自我の扉の7つ目が「何かになろうとすること」だったのを思い出した。以前書いた記事にその自我の説明としてこうあった。 === 第7の扉...人生の目標、野心、夢→決して来はしない未来に執着 何かに"なる"ことに囚われている。神になりたくてヒマラヤの洞窟に坐っている神秘家のような微妙で洗練された自我(笑)。夢想家やユートピアン。"あそこ"にあって、"ここ"にないものを求めている人たち。」 === そうか! 「幸せになる」とか「健康になる」もここに属してたんだ!だって、本来、健康や幸せはなるものではなく、そでにそこにあるものなのだから、ただ在って、それに気付くだけでOKだったんだ。 すべては、「イマココ」にある。 なんだか一周して帰ってきた感じ。。。 去年の今ごろ加島祥造の「求めない」に感化され、求めず、自然の流れに身を任すというところに囚われた。そして、秋に量子場調整に出会い、自由を知った。そこで、自分は創造主だったということも理解したし、その経験もした。 そして、今、また、「求めない」ところに戻ってきた。でも、その「求めない」は1年前のものとは全く違う。満たされていることを知らずに「求めない」のと、満たされていることを知っての「求めない」はまるで違う。前者は単なる諦めに近いところがある。後者は、すなわち「在ること」なんだ。 前者の「求めない」はまた禁欲的な側面を持つこともあるだろう。我慢だ。欲しいのに求めないのだから、我慢になって当然だ。そんな状態だから、当然ワクワクしないし、幸せでもない。単なる「求めない」という檻に自分を閉じ込めただけの状態だ。 後者の「求めない」は、すでにすべてを持っていることを識っている。満たされている。すべてが満たされているのだから、我慢なんてない。いつでもウキウキだし、幸せだ。ただそのままで在ればいいだけだ。意志すらも無理に持つ必要がない。なぜなら、内なる神の意志が自動的にダウンロードされるようになるのだから。。。 そして、そんなことを考えていた昨晩に引いたカードはこれ。何度も引いたことがあるカードだが、今回は、この愚者は「ただ在る」状態なのだと理解した。愚者は「御心のままに」という祈りの言葉しか知らない。 <愚者> 愚者とは、信頼しつづける者のことだ。愚者とは、自分のすべての体験を顧みず、信頼しつづける者のことだ。あなたがだましても、その人はあなたを信頼する。もう一度だましても、あなたを信頼する。さらにだましても、あなたを信頼する。そうなるとあなたは、この人は愚かだ、学ばない、と言うだろう。その人の信頼は途方もない。その信頼はあまりにも純粋だから、それを堕落させることなど誰にもできない。 タオイストの意味で、禅の意味で、愚者であるがいい。自分のまわりに知識の壁を築こうとしてはいけない。どんな体験がやって来ようとも、それを起こらせ、そして、それを落としつづけることだ。たえず自分の心(マインド) をきれいにしつづけるがいい。過去に死につづけるがいい。そうすれば、あなたは生まれたばかりのまさに赤ん坊のように、現在に、今ここにとどまる。最初のうちは、それはひじょうにむずかしいだろう。世間があなたを利用しようとしはじめる……そうさせておけばいい。彼らは哀れな人たちだ。たとえあなたが詐欺にあい、だまされ、奪い取られたとしても、起こるに任せるがいい。というのも、ほんとうの意味であなたのものをあなたから奪い取ることなどできないからだ。ほんとうの意味であなたのものを、あなたから盗むことなど誰にもできないからだ。そして、機会あるごとに、あなたが自分を堕落させる状況を許さなくなると、その機会が内側での統合をつくりだす。あなたの魂(ソウル) はさらに結晶化するようになる。 <参考記事> ◆完璧な自我 http:// ◆「求めない」 http:// ◆愚者≒覚者 http:// |
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